設定と代償

どこの国でも、海外に行くと、真っ先に頭に浮かぶテーマが「幸福度」。
どこの世界遺産にいくよりも、その国の人々の顔を見るのが一番の楽しみです。
「ああ、この国の人たちは幸せに暮らしているんだろうな」
「ああ、人に優しさを分ける余裕がある顔だな」
人の顔つきに、幸福度が見え隠れします。
しかし、日本に帰ってスターバックスのテラス席に座り、オフィス街の往来を眺めていると、どの顔も一様に疲れ切っているように見えます。
これには、毎度衝撃を受けます。
なぜなのでしょうか?ちょっと考えます。
まず、思考の準備として、下記のように思考します。
①疲れ切った顔をしている→一旦彼らは慢性的に「幸福でない」という状況であると仮定する
②「幸福」の定義はおそらく人それぞれであるので、幸福の正体は事実上「幸福度」のことであり、「幸福でない」というのは「幸福度が低い」ということを示すとする
③幸福度はどのように決定されるか?言うまでもなく、「人それぞれの『幸福』の設定÷実際」の%である
④設定次第では%を上げることができるわけで、つまり「幸福度が低い=幸福度のマネジメント力が低い」ということに他ならない
⑤幸福度のマネジメント力が上がれば、幸福度を一定以上に保つことができる
⑥それでは「幸福度のマネジメント力」はどのように構成されるか?を論点とする
はい。思考の準備が整いました。
では、「幸福になるために、幸福度のマネジメント力を上げよう!」というHOWの設定ができたところで、幸福度のマネジメント力について、掘り下げて考えてみます。
例えば。
「もっとあれば幸せになれる」。
何がですか?お金?名声?立場?
あなたはそれを手に入れることができます。
どうすれば?かんたんですね。
「あなたは上場企業の社長になる」
はい。これでたぶんなれます。
しかし待って下さい。もちろんタダではなれません。それになるために必要な代償があります。
どうすればなれるか?考えてみましょう。
・ベンチャー企業に就職してみる?どこに?何職で?何年?結果だせる?
・いきなり起業してみる?なにで?誰と?
・まず誰かの鞄持ちや運転手でもしてみる?鞄持ちになるためにどうすればいい?
・仕事が終わってから、寝ずに本を呼んでマインドをインストールしてみる?
・起業家の交流会に顔を出してみる?
・まぁいいや、ともかく結果、何年かかりそう?
「不可能」ということの本質は、「それになるのが不可能」なのではなく、「なるための代償を払うのが不可能」ということなのだと考えます。
「結果、おなじことじゃん」と考えてしまいがちですが、たぶん大違いです。
問題解決のフレームワークにも使えますね。
「まずは非現実的でも構いませんので、できる状態を考えます、しかしその状態になるための代償は払えないというところから、すこしずつ払う代償を現実的なものにしていきながら、かつ問題が解決されている状況、というポイントを探る。」という作業です。
余談になってしまいましたが、例を挙げます。
×だめな思考パターン
「孫悟空に勝ちたい」
「無理です」
◎おなじ無理でも、良い思考パターン。
「孫悟空に勝ちたい」
「勝てます。スーパーサイヤ人になれれば」→無理
「嘘です。勝てます。100年修行に集中させてくれれば」
「100年間寿命があるという保証は?」→ありません
「じゃあ、やめよう」
一見くだらない話のように見えますが、「できます。この代償を払えば」の思考テンプレートはとても大事です。
「できません」はないものとしてしまって良いのです。
話を戻しますが、先に述べたように
「これならできる。この代償を払えば」
ここで検討します。
「確かにこうはなりたい。しかしこの代償を払うことができるのだろうか??」
真剣に検討すると、
①「どうしてもこうなりたい。この代償を払ってでも。払う。」
②「いや、この代償は払えない。だから私はこれでいい」
このようないずれかの納得感が生まれます。正負はまったく関係ありません、納得感だけが大事です。(折衷案はここでは省きます)
このように自覚している、納得感のある状態が、「幸福度100%」の状態であると考えます(「設定÷実際」)
はい。では、ここからだめな状態を考えてみます。
パターン①
「代償は払えない(と、自覚してない)のに、今のままじゃやだ」
単なるわがままですね。そして誰も助けてはくれません。
「痩せたいのにジムが続かない」などはこのパターンです。
みんな「1億円あれば」あればと思うことはできますし、ほしいと思っているでしょう。
でも代償を払えない、払う気がない、あるいは必要な代償の定義もしていないので、現状のままなのです。
それはつまり1億円ほしいと実は思ってないということなのです。
パターン②
「代償は払っている!(つもり)今のままじゃやだ」
これは努力の仕方、頑張り方を間違っているというパターンです。
クリティカル・シンキングが足りないとも言えるため、一人での解決が難しいかもしれません。
このケースは意外と多い気がします。
私が、「働き方改革ってよりか『がんばり方改革』ってしたほうが良い」とずっと思っているのもこのためです。
走り書きなのでヌケモレは後でこっそり追記しておくとして、先に進みましょう。
「この状態を作るために、これくらいの代償を払う必要がある」→無理だと思う・・
「では、これくらいの代償は?それだとこれくらいの状態が作れます」→OKOK!
これで幸福度の出来上がりです。
言うまでもなく、「これになるために、この代償」の見立てを間違えてしまうと、元も子もなく
幸福度は絶対に得られないのでしょう。
まとめると
①代償を本来払えないようなor求めていないような、分不相応な「設定」(WHYマチガイ)
②「設定→代償」の設計ミス(HOWマチガイ)
③「頑張り方」のミス(WHATマチガイ)
により、幸福度が低下するという仮説です。(結局why-how-what)
→つまり、「幸福度のマネジメント力」はこの3つを精度よく行う力、行える状況を作れる力である、と導きます。
これらには高度な「メタ認知」が必要になりますが、「メタ認知」を備えた人間は意外と多くありません。
そこでおすすめなのが、「行動から心の声を聴く」ということです。
①起業するする言ってしない、いつまでも「準備」とか言ってる
→実は起業したいと思ってない、できない
②のし上がりたいです!と言ってるけど休日ガッツリ休んでいる
→実はワークライフバランス派だった
③痩せたい痩せたいと言ってジム続かない
→結局痩せたいと思ってない
④投票率低い低い言って改善しない
→実は投票率上げたいと思ってない
自他ともに、自然ととってしまう行動から聴ける心の声だけに耳を傾ける。
「ああ、私って〇〇したいって本当は思ってないんだ」
「ああ、私って本当は〇〇はそんなに大事じゃないんだ」
そんな自分を発見することで、無駄を排除することができます。
口ではなんとでも言えます。
つまり、「起業した人」だけが「起業したい人」というわけです。
考えを進めます。
日本人の「幸福度のマネジメント力」はなぜ低いのか?
(多分つづく)