ヒルルクばりに

こんにちは、南風盛です。
皆様お盆休みはいかがお過ごしでしたでしょうか?
うちも今年はガッツリお休みを頂きまして、僕は富士山に登ってきました。
少しは自分に負荷がかかって追い込まれるかな?と期待してましたが、
普段からサウナスーツ着て意識飛びそうになりながら走っているおかげか、全く息一つ切れず、そのせいか登頂しても達成感もなく、淡々と上り降りして行程を終えました。笑
カップルでの登山も多かったですねー。
上りで、一番安全な足場のルートを選んであげて、登ったあと彼女の手をとってあげるという行動をマメに行っている彼氏を見て、素晴らしいなと思って見てました。笑
余力が十分あると彼女に感じさせ、その手には、自分をしっかり支えてくれる、っていう安心感があるってことですよね。(考え過ぎか)
まあ多分当人らはそこまで考えてないでしょうが笑、
それを見て、人に優しくする、という事を考えてました。
人に手を差し伸べるという行為自体は、最低限、
「気が優しい」
というパーソナリティだけで可能な気がしますが、
最近は、優しさ、の構成要件として、
差し伸べた手に、相手がしっかりと握ってくれる説得力があるかどうか
そしてしっかり引き上げてやれる力があるかどうか
それがもたせられないと、それは優しさとして成立しないな、なんて思います。
「気が優しい」=優しい、が成立するとちょっと前まで思っていたんですけど。大学生まででいいですよね。それ。
差し伸べた手の説得力とは、やはり強さで、
「優しさは強さ・厳しさからしか生まれない」
と今は思います。
だって、自分よりも弱い人の手や、掴んだら共倒れするような手に捕まりたくはありませんよね?
例えば、ビジネスの場においても、相手との良い関係性を築くためには、
というような自分から武器を捨てるスタンスをとる、あるいは、
器用な人間はそのような仮面で、相手を減点法食らわさないように責任持って最後まで演じきる、
のどちらかが必要です。(最近マンガネタばっかですみません)
でも、もちろん生死がかかっておりますのでこの意思表示だけで手を握ってくれる層がすべてではなく、ポテンシャルやサステナビリティを滲ませられるように、普段から努力しなければならないな、と感じます。
だから、上図の裸のオトコは、
「おk、信用できないなら斬れよ、裸でも余裕で真剣白刃取りしたげるから無問題よん♪」
という覇気を醸し出したり、場合によっては
「凍え死ぬも、温かいスープにありつくも、君は選択する権利があり、完全に自由だ。どっち?死ぬ?生きる?」
相手に選択の補助をしてあげるべく、IQとEQの腕相撲をして、軽めに勝利しておくことが必要になることもあります。
仕事の面白いところは、意外とここですよね。
IQとEQの腕相撲。
頭のキレる方とテーブルにつくと、相手もわかっていて、
自然と
「おし、さあ、いっちょやろうぜ」
「お?やります?いいっすね」
みたいな空気になるんです。
仕事に限らず、頭のキレる人は初対面みんなそうかな。
そんな時は、もうニヤニヤしちゃいます。最高に楽しいです。
いい出会いに感謝!って感じです。
話がそれました。
裸のまんま無防備で斬られて死んでしまったら、ただの気の優しいだけの愚か者ですよね。
そして、手を差し伸べるのが優しさではなく、
手をとってもらい、相手をハッピーにするのが優しさなので、
だから、常に差し伸べた手に、説得力やオーラ、自由を宿らせられるように力を求めていかないといけないと感じます。
余談ですが、昔は、相手にどう思われるのか、とか重くないか、ウダウダ考えて
「何かあったらオレに言えよ!」
なんてとてもとても言えませんでしたが、
最近は、他人に下心もなく、見返りも求めず、期待もせず、別に嫌われてもいいし、
必要とされないってことは何もないってこと=つまりそれは相手が良い状態ってこと。それがベスト。
でも何かあれば助けになる、っていうリスクのない空気的な存在でいれば良い。
と思えるようになり、このセリフが自分の周りの人間にすんなりでるようになりました。
不思議とこのスタンスでいること、相手にちゃーんと伝わるもので、
そうなるとお互い完全に身軽です。良い感じです。
あの人は優しいんだけどね・・・
とか
優しいだけの人はいや!
って恋愛でよくでてくるセリフの「優しさ」でなく
強さ由来の優しさ、をしっかり従業員全員=会社全体で持てたらいいな、と思ってます。
だから、うちは常に、
力の求道者社でいたいですね。
(ん?待てよちょっとださいな・・・・、ま、いっか)