学ぶか、老いるか

学びである。
何をおいても学びなのである。
若い頃(20代)、私の座右の銘は、
「勝てば官軍、負ければ賊軍」
であったが、今は、よりそのプロセスである「学び」の尊さを第一に感じている。
何故ならば、学ぶことができれば、勝利(結果)はほぼ約束されているからである。
下記は、私の会社の従業員の誕生日に、私がその場で思いつき、送った言葉である。
学ぶか、老いるか。
自らにも常日頃、言い聞かせている言葉である。
もしも人間が、常に自分に足りない要素をメタ認知によって的確に把握し、それを補い続けるならば、常に新しい自分に生まれ変わることができる。
つまり、もしも日々学び続けるならば、肉体が滅びてもなお、私たちは永久に老いることはないのである。
さて、「学ぶ」とは日常茶飯事に使い古された言葉のように感じるが、私が考えるに、誰にでもできるようなものではない。
むしろ、限られた人間しかできない最高難易度のスキルであると感じるものである。
今日は、私の会社の人間に、私から共有している「学び」の方法論の一部を下記に記載する。
(ちなみに、「自分に何が足りないのか」「自分は何を学ぶべきか」を絶対に間違えない、というスキルも最重要であるが、それについては機会を改めて書こうと思う)
どれも大それた話ではない。たった2つのシンプルな話である。
1.インプットは必ずアウトプットとセットで行なう
世の中に、WHY-HOW-WHATを繋げられないものはない。
したがって、もしもマインド(WHY)を学んだならば、自らの体でいますぐ行動(WHAT)に落として即日アウトプットしなければならないし、
もしも行動(WHAT)を教わったならば、そのものの実践はもちろん、自らの頭でなぜその行動をやるのか(WHY)を考え、新しいアウトプットを行える準備を行なう。
この、具体(WHAT)と抽象(WHY)の頻繁な行き来のみが、学びの効率を上げるのである。
以下、私の例である。
⬛仮想通貨(マイクロファイナンス)とブロックチェーン
私が最も今興味があるのは上記のイシューである。「ビットコイン」の名前は、聞いたことがあると思う。これらを当事者意識を最高値にして最速で学ぶために、学ぼうと思った日に、
一日で全資産をすべて、仮想通貨に変えてしまった。
当然、刻一刻と増減する我が全資産をチャートともに気にかけつつ、必死で勉強をしたのである。
仮想通貨投資(アウトプット)に全力で取り組んだ結果、周りの人間に一通りの説明、銘柄のアドバイスもできるようになった。
また、ほぼ底値で買ったその銘柄は、みるみる◎◎倍に膨れ上がったというおまけがついた。
ブロックチェーンの本で読むだけでは学びの効率は最大化しない。実際に行ってみないことには、血肉にはなり得ないのである。
そして、自らにかける負荷・リスクは、多ければ多いほど、学びの効率は上がってゆく。
2.毎日続ける
何があろうと毎日必ず続けるのである。「ジョギングをはじめたが、今日はあいにく雨だから無理だ」ではダメなのである。
もしもジョギングによって達せられると仮説立てたゴールを真に達成したいのならば、フィットネスジムに入会するなど、雨天時にも続けられる体制を作らなければならないのである。
体調が悪いから休むといっても、「体調が悪いなら仕方ない、走ったのと同じ効果を体に付与してあげよう」と言ってくれるほど、神様は我々には優しくない。
そして、そのような理由で休む人間がゴールに達した事例を私はほとんど知らない。
私が冷たい人間と思われるのがいささか怖いが、どんな正当化される理由でも、学びの効率を下げることには変わりはないのである。
また、もしも「今日は土日だから」ということがやらない理由になりえるのであれば、
いますぐにでも、「土日でも行ってしまうくらい好きor必要と思えること」を探し始めた方がいいのである。
続けることによって、初めて知識や行動が体に定着するのだ。
⬛英語学習
やろうやろうと思ってできない学習の上位にはいるのではないかと思われるのが英語学習ではないだろうか。
私はオンライン英会話を毎日3レッスン、一日も休まず行いつつ、1~2ヶ月に一度、一人で海外を放浪し、友達を各都市に一人以上ずつ作って帰る、という取り組みを行っている。
習ったこと(インプット)を作った友達との会話に活かす(アウトプット)という循環を作るためである。(無論、そのためだけではないが。)
また、海外にいる時は時差があるが、それでも午前3時に起きて3レッスンを行う。
とにかく一度決めたら、「一日でも休んだら全て水の泡に帰す」と思って意地でも、雨の日も風(風邪)の日も毎日続けるのである。
少し長くなったが、私の会社において従業員に教える「学ぶ」ための方法論の一部である。(強制はしていない。)
ここまで話して当然予測されるのが、「時間がないから無理」「お金がないから無理」「家族がいるから」などというエクスキューズであるが、
先に書いたとおり、どんなエクスキューズがあったからとて、学びは依然として達成されないのだから、なんとか工夫をしなければならない。
例えば、英語であれば、Instagramなどなら、今は外国人と簡単に話す機会を得ることができる。外国人のユーザーに片っ端からメッセージを送れば何件かは返ってくるだろう。
そのようにして友達を作ればよいのである。その場合、コストはゼロだ。(私が実際にやっている)
全ては、意欲と工夫次第。
メタ認知によって、リスクや負荷をとれない理由は、時間やお金、家族などの問題ではなく、自分自身の弱さのみにあると自覚することから学びの全てが始まると、私自身常に身を引き締めるものである。
以上、「学ぶ」ということは、言葉こそ使い古されているが、実際は大変高度なスキルであると私自身感じているのである。
「金持ち父さん」を読んだ人間は全員「金持ち父さん」にならなければならないのに、実際そう上手くはいかないのは、つまりはこういうことなのだ。
そしてそれは、ビジネスパーソン、ひいては人間が生きていく上での、唯一無二の最高のスキルであることを同時に意味し、冒頭に書いた、
「学ぶ」ことができれば、勝利は約束されたも同然である
というのは、この難易度の高さに由来するロジックなのである。
33歳のいま、感じることは、
「全ての人間にとって、遅すぎるということは一つもない」
ということだ。
要は、死ぬまでに勝ちさえすれば我々は、勝者として胸を張って土に還ることができるのである。
学ぶか、老いるか。
我々には本来常に、このトレードオフを選択する自由があることを忘れてはならない。