よりソリッドに、ミニマルに

すべてを否定するために仕事をしている。
といつも言っているのだが、こういうと、若干誤解を受けそうだ。
お客様の代わりに、常に最善の選択肢をとって差し上げるために仕事をしている。
これならどうだろうか。
上記二つは少し軸がずれるが、ほぼ同義だ。
【選択肢がないこと】
がリスクなのは、当たり前だけど、
【取捨選択が出来ないから】
ということになる。
取捨選択作業というのは、
【自分にとって要らないものをしっかりと理解し捨てていった結果、残った本当に必要なものを選びとる】
ということだから、要らないものを要らない、と本当にわからずに決めつけで捨てることは取捨選択とはならない。
ゆえにそれは選択肢が無いのと同義であり、
ゆえにそれはリスクそのものなのである。
・似合わないと決めつけているファッション
・食わず嫌いの食べ物
・おカネよりも家族が大切とする
どれも、そうかもしれない。でも、現時点では【仮説の域を超えず、わからない】のである。
あくまでロジックベースで話してしまうと、おカネが汚いものかどうか、家族の方が大切かどうかは、おカネを手にしたものしかわからない。
取捨選択を行うということは、つまり、
【10のうち、9が要らないということを確定させる作業】
と同義であり、
それはまた、
【9を手に入れる、経験した。または限りなく手に入れた、に近い状況や知識を得る作業】
と同義である。
だから、弊社のメイン事業のコンサルティングにおいても、PDCAにおいて、立てた仮説が失敗することがある。ゆえに、
「これがダメだった、とわかることは財産である」という価値観
としっかり説明させて頂く。
他社よりも上記の説明が言い訳にならない自信もあるからだ。
無論、コンサルティングの場合はお客様に大事な予算を預けて頂いているので、9を不要とわかるまえ(コストが最大化してしまうまえ)に、1(っぽいもの、だろうと思えるもの)にたどり着く仮説の精度とスピードの最適化が重要であり、お客様の目標値さえ到達していれば、更にコストをかけて真理を追求するよりも「1っぽいもの」、で着地させることが多い。
けれども、お客様に
「必ず1にたどり着くこと」or「1っぽいものを素早く提供すること」
を提供すること自体を価値としている弊社自身は違う。
企業価値の向上のために、常に何でも食べるモンスターのように全てを排す為に全てを手に入れていかなければならない。
そして弊社の価値観は僕の価値観そのものだ。
ファッションもインテリアも、ミニマルなものが好きだ。
けれども、完成されたミニマルなデザインには、すべからく、そのデザインの裏に経験値を感じられる「凄み」があるものだ。
例えば、僕は「黒い服しか着ない」と言ってそれを実践している人間と、とにかくたくさんの洋服を着てきた人間がアプローチする「行き着いた末の黒」、とでは、同じ黒でも全く「こなれた感」が異なり、ひと目で判別可能である。
それは、「9を手に入れて捨てた者」だけが持てる説得力だ。
常に、裏に経験値を感じさせるソリッドさ、ミニマルさを人生において追求していきたい。
ゆえに、弊社は、僕は、すべてを否定するために仕事をしている。